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distractions ~ディストラクションズ 気晴らしブログ~

音楽、映画、漫画などの昔のネタを気ままにマイペースでやってるブログです。

ビートルズ デビュー ➀

 ビートルズ デビューまでの道のり

 

 

       

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1962年10月5日

 

 ビートルズは1962年10月5日、シングル「ラブ・ミー・ドゥ」でイギリスのパーロフォンからレコードデビュー。
 その前年にポリドールからシングルが出ているけれど、ビート・ブラザーズという名義でトニー・シェリダンのバックバンドでのレコーディングだったので、ビートルズとして正式にデビューしたのは上記の通り。

 

 

 

 そしてこの日を境にして音楽にとどまらず若者文化全般は激変する。 とはちょっと大袈裟だが、ほぼほぼデビュー直後にブレークして社会現象を巻き起こし、世界を変えていきそのまま解散まで突っ走った。
しかし、そんなビートルズもデビューまではなかなか苦労があったのだ。

 まったくの偶然だが、この日はイギリスが生んだもう一人のヒーロー、ジェームズ・ボンドがデビューした日でもある。

 

運命の出会い その1

 

 諸説あるがジョンとポールの運命の出会いは1957年7月で、定説では7月6日、セントピーターズ教会のお祭りのステージに出演するジョンのバンドをポールが見に来て共通の友人がふたりを引き合わせた。

 ジョンとポールは出会いの時に一発で認め合い、間もなく一緒に音楽をやっていくことになった。

このコンビが世界に与えた影響は計り知れないが、すべてはここから始まった。『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のちょうど10年前、たったの10年、すごい密度の10年である。

 

 ビートルズの始まりがジョンのバンドにポールが加入した時だとすると、デビューするまで5年と3ヶ月ほど。これがバンド結成からデビューまでの年月として長いのか短いのかよく分からないが、ジョン・ポール・ジョージを擁するバンドにしては結構かかってるんじゃないかと感じる。
 ジョンのバンドは半分遊びみたいなものでメンバーもプロでやってく意識もなかったが、生まれ持ってのミュージシャン、ポールが加入したことでジョンは音楽に対する意識がかなり真剣なものになったようだ。
 ポール加入の数か月後にはジョージも加わり、バンドのレベルはさらに上がりより本格化した。みんなまだ学生だったがすでに学校よりバンドの方を優先してた。 もうジョンもポールもジョージも将来のビションがはっきりしてたのだろう。

 

ビートルズ誕生

         

 精力的にステージに立ち人気や実力も上がってきたグループですがこの頃はまだビートルズじゃなく、クォーリメン、次いでジョニー&ザ・ムーンドッグスと名乗っていた。その他にもちょこちょこ違うバンド名を使っていた。
 その後1960年5月、ジョニー・ジェントルのバックバンドのオーディションを受ける頃からシルバー・ビートルズに改名、そして夏にはシルバーを外し、ビートルズになった。
 そのビートルズというバンド名の由来はいくつか語られているが、彼らの敬愛するバディ・ホリーのバンド "クリケッツ”をヒントに命名した。”BEETLES”ではなく”BEATLES”としたところがミソで、ただのカブトムシではなく音楽を連想させる名前だ。
 ビートルズに変えたのが1960年ということは、彼らが ”ビートルズ” だったのはちょうど '60年代の10年間。まさに文字通り '60年代を象徴するグループだったのだ。

不遇の下積み時代?

 

 バンド名を変えたからって状況が一変するわけはなく、ビートルズの主な仕事は相変わらずライブハウスのステージだった。
ただ1960年の夏には活動の場は地元リバプールだけでなく、西ドイツのハンブルグにまで広げており、ハンブルグでの仕事の一つが冒頭述べたポリドールでのレコーディングだ。この当時を「不遇の下積み時代」と見る人もいるが、彼ら自身は刺激に満ちた青春時代を楽しくやってたはずだ。

 また毎日長時間ステージに立って身につけたミュージシャンとしてのスキルが後の成功の自信になっただろう。
 それはそうとミュージシャンで食べてくハラを決めてただろうが、まさかこの時点で本気でエルビスを抜いてトップ・オブ・ポップスに君臨する気だったのか。彼らのことだからもしかして本気考えていたのかもしれないが。

 

運命の出会い②

 

 不定期だったドラマーもピート・ベストに固定され、翌年はさらに多くのステージをこなし、リバプールで1,2を争う人気グループへと成長した。
とは言え未だレコードデビューは果たせずにいた。おそらくレコード市場が今よりずっと小さかったし今ほどデビューのチャンスもなく、簡単にレコードを出せる時代ではなかったんだろう。 そもそもレコード市場を拡大させたのはビートルズなのだし。

 そんなビートルズの評判を聞きつけた地元のレコード店の経営者、ブライアン・エプスタインが彼らに興味を持ち、11月9日、キャバーンクラブにやってきた。
しかしレコード店の経営者でもロックンロールにはまったく興味がなかったブライアンがなぜビートルズに会いに行ったのかイマイチ分からないが、そこは結果オーライで。
 ロックンロールへの興味はとにかく、ビートルズの魅力にはコロッとで参ってしまったて、これ以降キャバーンクラブに度々足を運んだ。 そして一ヶ月後、ブライアンはビートルズのマネジメントを提案し、年が明けると正式に契約する。
 

 ブライアンとの出会いもビートルズの未来を大きく変える運命の出会いだった。ビートルズなら遅かれ早かれ成功しただろうが、ブライアンがマネージャーじゃなければあそこ までの成功は得られなかったに違いない。
ブライアンはビートルズの売り出しにすべてを賭けていたが、しかし、メジャーデビューはもう少しおあずけだった。

 


The Beatles Love Me Do