キンタメ

ビートルズ デビュー ②

 

デッカオーディション

 

 1962年に入ると正式に契約を結び、新しいマネージャーとなったブライアンは精力的にビートルズを売り込むが、その情熱とは裏腹になかなか結果が出せずにいた。
そんな折、イギリス三大メジャーのデッカ・レコードのオーディションの話が。オーディションに受かれば当然レコードデビューも叶うビッグチャンスに、ビートルズもこのオーディションにすべてを賭けて臨んだと思われる。

 

 


 しかしながらオーディションは不合格に終わった。寒い中わざわざロンドンまで出向いたのにさぞかしガッカリしたことだろう。

 ちなみにオーディションは1962年1月1日。元日から新人バンドのオーディションをやるなんてなんかワケがあったのか、それともイギリスは元日とかあまり関係なく仕事をするのか。

 

ビートルズを落としたせいでこのオーディションは世紀の大チョンボとしてロック史に刻まれ、責任者のディック・ロウはビートルズを逃したディレクター、という不名誉な称号を与えられてしまった。

 

ブライアンの執念

 

 オーディションには落ちても、ブライアンはあきらめない。レコード店の経営者としてコネもあって、レコード会社に片っぱしからテープを送っては断られていた。この人は本気でビートルズの成功を信じていのだろう。

 それ以外にブライアンはより多くのファンを獲得するためにビートルズのイメージを変えていった。革のジャケットを着てステージ上で好き勝手に振る舞う品性のよくないビートルズに揃いのスーツを着せ、ステージでの飲食禁止、曲が終わるたびに客席にお辞儀をすることを徹底させた。やってる音楽は同じでもイメージを不良から優等生に変えたのだ。

 残念な結果に終わったオーディションだが、デッカのスタジオや機材を使いプロのエンジニアがレコーディングをしたおかげで、バンドは高品質のオープンリールテープを手にいれていた。

このテープを持って売り込みを続けるブライアンの執念が運命を切り開くことになる。

 

ジョージ・マーティン

 

 1962年5月、ブライアンはロンドンのオックス・フォードストリートにあるレコード店 HMV に同業者のボブ・ボーストをなかなか進展しない現状について愚痴っていた。

 するとボーストからデッカオーディションのテープをもっと手軽に再生できるレコードにすることを提案され、さっそく 上階にあるスタジオでレコードにカッティングした。この時カッティング・エンジニアのジム・フォイがビートルズのサウンドに興味を持った。

 オーディションではオリジナルも数曲あったことを話すと、当時は自ら作詞作曲するバンドは珍しかったのでフォイは驚き、出版契約することを進められた。
   それにはブライアンも乗り気だったので、HMVと同じ建物に入っている音楽出版社アードモア&ビーチウッドの責任者 シド・コールマンを紹介してもらうと、フォイ同様コールマンもすぐにビートルズを気に入り出版契約が結ばれた。ブライアンはさぞかし嬉しかっただろうが、彼の本命はあくまでもレコードデビューである。
 そのことをコールマンに伝えると、同じ EMI系のパーロフォンというレーベルでプロデューサーをやっている友人ジョージ・マーティンに連絡を取ってくれた。
この時ビートルズハンブルグに出稼ぎ中のため運命の岐路に立ってることを知る由もなかった。

 

EMIスタジオで初めてのレコーディング

 

 1962年6日6日 ビートルズはロンドンのアビーロードにあるEMIスタジオに現れた。オーディションなのか正式なレコーディングなのか諸説あるがおそらくはオーディション的な意味合いのレコーディングだったのだろう。

なんであれこの日はビートルズジョージ・マーティンの初顔合わせという歴史的な日だ。

 記録によるとこの日ビートルズは4曲レコーディング(テイク数は不明)したようだが、音源は現存してない。バックバンドなんかじゃなくビートルズとして初めてのレコーディングがどんな感じだったか分からないのは残念。きっと緊張と興奮で本人たちもよく覚えてないかもしれないし。
 次のセッションは念願のデビュー曲のレコーディング、ようやく夢をつかんだが、その前にもうひとつやらなければならない大きな仕事が残っていた。

 

 リンゴ・スター加入

 

 ビートルズはデビュー前に何とかしなくてはならない問題があった。ドラマーの問題だ。
 ピート・ベストは初めてハンブルグに遠征した頃からずっと一緒にやってきた仲間なのだが、3人とも技術面で不満があった。ジョージ・マーティンからもドラムが弱いと指摘されたこともあり3人の気持ちは固まった。

 彼らが出した結論はピートを解雇し、現在ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズで活躍する人気ドラマー、リンゴ・スターに入ってもらうということだった。このタイミングでずいぶん冷たい仕打ちだとも思うが、プロとして絶対妥協したくなかったのだろうか。結果的にこの判断は正解なのだが。
 3人で秘密裏に決定した案件、問題は一体誰がピートにクビを言い渡すのか。この役を3人はブライアンに押し付けた。

 この話はブライアンのオフィスでふたりだけで交わされたようだが、デビュー直前でまさかクビになるとは夢にも思ってなかったろうに本当に気の毒である。こんな嫌な役をやらされたブライアンにも同情を禁じ得ない。 直後のライブでは人気メンバーだったピートのファンが暴徒化して、その中のひとりにジョージはぶん殴られましたがそれくらい仕方ないだろう。
このドラマー交代の半月後にデビュー曲をレコーディング、そして10月5日 「ラブ・ミー・ドゥ」リリース。

 その後のビートルズ人気は誰も想像できないものになる。

 


Love Me Do ( Live )

ザ・ビートルズ・モノ・ボックス(アンコール・プレス)

ザ・ビートルズ・モノ・ボックス(アンコール・プレス)