オーギュスト・ルノワール 「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」
オーギュスト・ルノワール 「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」
印象派の絵画といえば、日本でも圧倒的な人気を誇っているが、このオーギュスト・ルノワール作『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』は印象派が最も活発だった1880年の夏頃に描かれた作品である。日本では『可愛いイレーヌ』のタイトルでも親しまれている。
モデルは裕福なベルギー出身でパリ在住の裕福なユダヤ人銀行家ルイ・カーン・ダンヴェールの長女で当時8歳だったイレーヌといわれている。生涯を通して女性を描き続けたルノアールはたくさんの肖像画を残しているが、最も有名な作品の一つであり最も美しい作品の一つである。
背景の緑の落ち着いた深みや、輝くような服の襞も美しいのだが、最大の魅力は憂いているようなイレーヌの気品のある表情ではないだろうか。その表情は8歳にしてはいく分大人っぽく感じられるが、手の描写に幼さが表現されている可憐な少女像だ。
しかし、ルノワールの最高傑作のひとつと言われているこの絵をダンヴェール家は気にいらなかったようで、あまり大切に扱わなかった。
記念すべき第1回目の印象派展が1874年4月に開催された。展覧会は酷評されたが、この頃からルノワールの絵は少しずつ売れ始め、この時以降の十年ほどに描かれた作品が特に人気が高い。代表作「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」や「舟遊びをする人々」などもこの時代に制作されたものである。
「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」が描かれた1880年頃のルノワールは経済的に安定し始め、後に妻となるアリーヌ・シャリコとも出会い、公私ともに充実した40歳を迎えたルノワールの全盛期である。
実際に「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」を見たのは、ずいぶん前に日本に来た時だった。この機会を逃すと次はないかもしれないと思い横浜美術館にでむいた。
展覧会の目玉『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』の前はさすがに黒山の人だかりなので、少し離れたところでしばらく眺めていたら、突然人がいなくなったのでゆっくり鑑賞することができた。
今までいろいろな画集で見てきたが、本物の「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」の持つ魅力は圧倒的で、「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」でありながらも、まったく違うものであるようにも感じられた。不思議な感覚に襲われ、絵の前でしばらく立ちつくしてしまった。この感覚は、写真や印刷されたものと、実物との印象のギャップからきたのかもしれない。
ルノワールの華やかな色彩と柔らかい筆使いは、画家の幸福で充実した人生が凝縮されているようで、誰もが作品を通してそれを感じ取っているからこそ彼の作品はいつまでも愛され続けているのだろう。
その後も「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」は日本にお目見えしているが、未だ鑑賞の機会に恵まれず、あの時が一期一会の貴重な体験であった。やはり海外の作品やアーティストは次の機会はないと思って臨んだ方がよさそうだ。
「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」は第二次世界大戦中ナチスのゲーリングが所有していたが、大戦終結後イレーヌに返還された。
ほどなくしてスイスの実業家で印象派コレクターのエミール・ビュールレがイレーヌ本人から買い取り、現在はビュールレ・コレクションに所蔵されている。
2020年にはビュールレ・コレクション全作品がチューリヒ美術館に移管される予定である。
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