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distractions ~ディストラクションズ 気晴らしブログ~

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ビートルズ アメリカ上陸

 

アメリカ進出の夢

そもそもどこまで本気だったか分からないが、ビートルズはデビュー前からアメリカ進出を視野に入れていたという。少なくともメジャーでのデビュー曲「ラブ・ミー・ドゥ」リリース以降はそれなりに本気で売り込んでいたようだ。

しかし1963年当時ポップ・ミュージック大国のアメリカでは、ほとんど相手にされずにいた。すでにイギリスでは社会現象にまでなっていたビートルズだったが、アメリカの音楽業界は彼らのサウンドを時代遅れとみなしていた。

それでもビートルズたちはアメリカ進出の夢をあきらめることはなかった。

 

 チャンス到来

ビートルズが所属するイギリスのEMIのアメリカでの販売元はキャピトル・レコードである。プロデューサーのジョージ・マーティンは新曲が完成するとキャピトルに聴かせてリリースを打診するもこれまで見送られてきた。アメリカの音楽を模倣したイギリスのポップ・バンドがアメリカで成功するなんて多くの人があり得ないと思っていたのだろう。

しかし成功を信じてあきらめなかったビートルズにチャンスが到来する。1963年の11月にリリースした5枚目のシングル「抱きしめたい」をロンドンでたまたま耳にしたキャピトル・レコードのA &Rマンの心を掴んだ。

A &Rマンのデイブ・デクスター・ジュニアはそれまでもイギリスから送られてくるビートルズの曲を聴いていたがアメリカでは絶対売れないとしてリリースを拒否してきた。ところが「抱きしめたい」を聴いてこれは売れると感じキャピトルからのリリースが決まった。

 

「抱きしめたい」ヒット

12月ついにビートルズはメジャー・レーベルから「抱きしめたい」をリリース。いざ発売するとなるとキャピトルは本腰を入れたプロモーションを始めた。

一方ビートルズ側の戦略はなにもレコード・リリースだけではなかった。アメリカで成功するためにいろいろと忙しく動いていた。まずニューヨークにある格式の高いカーネギー・ホールでのコンサートをやることだ。こっちはレコードと違いすんなり決まったらしい。行きがけの駄賃じゃないがこの時のアメリカ滞在時に人気バラエティ番組「エド・サリバン・ショー」に破格の条件での出演も取り付けた。コンサートのプロモーター、シド・バーンスタインや「エド・サリバン・ショー」のMC エド・サリバンはユダヤ人である。これらの契約にはマネージャーのブライアン・エプスタインもユダヤ人だったことが大きく影響したのだろう。

アメリカ上陸の準備は着実に整った。もう一つ必要なのはアメリカでの曲のヒットだ。

ビートルズの4人は超多忙だったため周りで進んでるプロジェクトをどこまで把握していたか分からないがコンサートのため滞在していたパリに吉報が届いた。

1964年2月1日、なんと「抱きしめたい」がビルボードのチャートで首位に立つという快挙を成し遂げた。1月18日にランクインからわずか2週間の超急上昇だ。ほんの少し前までほとんどの人が想像もしていなかったことが実現したのだ。ビートルズはパリのホテルの部屋で喜びを爆発させた。予想を上回る「抱きしめたい」の大ヒットはフランス公演の次に控えているアメリカ巡業の最高の追い風になった。

 

 2月7日 アメリカ上陸

フランス公演の後一旦イギリスに戻ったビートルズは遂にアメリカに飛び立った。

1位獲得直後の2月7日、ビートルズ御一行はニューヨークのケネディ空港に降り立った。この時出迎えたファンの歓声は凄まじくジョンは「大統領が乗ってるのかと思った」そうだ。この機には後にビートルズ解散の戦犯の1人になるフィル・スペクターが同乗していた。アメリカ行きが不安だったジョンが頼んだとか。

ケネディ空港では記者会見を開いたが当時のビートルズはまだ音楽的にはあまり評価されておらず奇妙なヘア・スタイルの方が関心を集めていた。そのため記者からはおかしな質問も飛んだ。

「髪の毛を切る予定は?」

と聞かれるとすかさずジョージ・ハリスン

「昨日切ったよ」

と切り返した。

「君たちはなぜ成功したのか?」

との質問にはジョンが

「それが分かればマネージャーになって稼ぐよ」

なんてサラッと答えている。

ウィットに富んだ4人の質疑応答はビートルズを厳しい目で見ていたアメリカの記者達にも好意的に受け入れられた。今のところビートルズアメリカ侵略は順調に進んでいるようだ。

 

エド・サリバン・ショー」出演

もはや伝説になっているが2月9日、ビートルズは「エド・サリバン・ショー」に出演した。

今や全米の注目を集めるビートルズの出演とあってこの日の番組の視聴率は72パーセントという驚異的な数字を叩き出した。そしてビートルズが演奏中はニューヨークでの少年犯罪が一件も起きなかったとも言われている。とにかくこの夜、動くビートルズを見るために約7500万人もの人がテレビの前にいたのだ。

ビートルズ訪米の騒動を描いたロバート・ゼメキスの「抱きしめたい」という映画はファンの視点から撮られていてビートルズ自身は出てこないところが面白い。小ネタもありでビートルズのファンなら楽しめる内容になっていると思う。

 

ビートルズが残していったもの

2月11日にはワシントン・コロシアムのコンサート、翌12日はカーネギー・ホールでのコンサートも大盛況だった。また15日付のビルボードのアルバム・チャートでアメリカ版『ウィズ・ザ・ビートルズ』である『ミート・ザ・ビートルズ』が1位を獲得。以後11週首位を守った。

ビートルズの初めてのアメリカ訪問は大成功に終わった。ビートルズの影響はあまりにも大きく、彼らの後を追うようにイギリスのグループがアメリカへ進出しチャートを席巻。ポップ・ミュージックの主流をガラリと変えてしまった。この現象は(第一次)ブリティッシュ・インベイジョンと呼ばれている。

既存のマスコミ等はこのビートルズ熱を一過性のものと見なしていたフシがあるが若者たちには計り知れないものを残した。70年代以降活躍するアーティストにはこの時ビートルズにインスパイアされた者も少なくない。ビートルズの出現は完全に新しい世代を生み出したと言っても過言ではないかもしれない。

もし4人がアメリカ進出を早々にあきらめていたら20世紀後半のポップ・ミュージックはずいぶん違うものになっていたかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

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