キンタメ

distractions ~ディストラクションズ 気晴らしブログ~

音楽、映画、漫画などの昔のネタを気ままにマイペースでやってるブログです。

表現の自由を少し考えてみる

憲法第二十一条とは

 

  日本国憲法は、第二十一条で「表現の自由」を定めている。これによって、何かを「表現」するとき、その内容について国からの干渉を一切受けることなく、完全に「自由」に「表現」する権利を誰もが得ている。

 

 

 しかし、一方ではその「自由」には当然限界もある。それは「表現の自由」の権利のために、他者の権利を侵害してはならない「権利の乱用の禁止」、すべての国民は個人として尊重しなければならない「公共の福祉」といった憲法で定められたものである。 「自由」といっても、好き勝手に「表現」した結果、他人を傷つけるようなことは「表現の自由」の限界を超えたものとして禁止されている。

 今回は、刑法一七五条によって規制されている、わいせつな表現というものから「表現の自由」を少し考えてみたい。

 

わいせつコミック裁判

 

 2002年10月1日、アダルト系出版社の社長、編集局長、漫画家の三人がわいせつな内容のコミックを販売した容疑で逮捕・拘束された。事件は10月3日になって各マスコミに一斉に報じられ、一般的にも話題を集めたものになった。これが「表現の自由」を巡って繰りひろげられる、出版史上初の「わいせつコミック裁判」の始まりだった。

ずいぶん古い話なのだが、なぜ表現の自由を考えるのにこんな例を出したのは、当時アダルト出版関係の現場にいて、この事件にもいろいろと影響を受け表現について考えさせられた経験があったので取り上げた。

  

 問題とされたのはR-18指定の成年漫画だが、そもそもは一般人からの一通の投書が摘発のきっかけである。高校生の息子が隠し持っていたコミック誌をたまたま見つけた父親は、そのあまりにもわいせつで反社会的な内容に驚愕し「このような本を販売することは明らかに違法であり、未成年が目にすることによって与える影響は大きく、やがては性犯罪につながる。」といった内容の手紙を書いた。

 これが大きな問題になるのは、この投書を読んだのが元警察官僚の国会議員であったことである。手紙は警察庁生活安全部保安課に転送されたため、警察は直ちに捜査を開始した。

職業柄たくさんの成年コミックに目を通しているが、客観的にみてもそのマンガは2002年の時点ではごく平均的な内容の成年コミックであったため、この作品だけがわいせつ図書として取り締まりの対象になるとは考えにくかった。アダルト系出版社も同じように考え、第二の摘発を恐れ、業界はパニック状態に陥った。

 また出版人だけでなく、作者まで逮捕されたことが混乱に拍車をかけた。もちろん出版社だけでなく、書店側も慎重な対処がせまられた。

 

問題となる表現とは

 

 公判は2002年12月3日から始まった。この裁判が過去のわいせつ裁判と異なるのは、漫画の表現が「わいせつ」とされたことである。

 写真や映像などの実写ではなく、漫画という手段で表現されたものがどこまで「わいせつ」になるかが焦点となった。

 問題の作品は一つの話でなく数話からなるアンソロジー作品で、中には女性を数人で陵辱する内容の作品も含まれている。漫画に限らず18歳未満の児童が登場するポルノ作品については、1999年11月に施行された法律で取り締まられるが、陵辱が主題の作品は実質罰せられることはない。

 「表現の自由」について行われた今回の裁判も、問題となったのは性器の直接的な描写や、編集段階に加えられる「ぼかし」の濃さや範囲などであり、そのストーリーについては特別取りざたされなかった。

 

裁判の行方

 

 検察側はその作品が青少年に悪影響を及ぼすのではないかと被告側にしつこく尋ねているが、これに対し被告側は問題の作品は「18禁」の「成年コミック」なので、未成年は購入できない限られた大人だけの趣味の本であるとし、無罪を主張している。

この成年誌の扱いは以前から「18禁」の表示やシュリンク包装、売場コーナーの区分けなどで未成年対策は行われてきたが、2001年10月に始まった条例により成年誌の販売規制はより徹底された。

 問題の作品が憲法一七五条に該当するわいせつ図書なら年齢に関係なく販売できないが、未成年に与える影響が問題となるなら、憲法一七五条ではなく青少年条例の扱いであり、成人指定誌として販売されていれば罪に問われることはないだろう。

 

最高裁判決

 

 結局裁判は一審で出版社社長に懲役一年執行猶予三年の有罪判決が出たが、二審では罰金150万円となった。しかし被告人側はあくまで無罪を主張し最高裁まで持ち込まれたが、作品はわいせつ図画であり今回の件も「表現の自由の侵害にはならない」との判断により二審判決で確定した。

 この判決にアダルト系出版関係者は納得がいかなかったし、脅威でもあった。有罪となった基準がさっぱり分からないのである。これからも今までのように成年コミックの制作、販売をしても大丈夫なのだろうか。店頭にはもっと過激な商品がいくらでもあるというのに、不安と不満を残す結末だった。

 

なぜ逮捕されたのか

 

 以上事件の経緯をみてきた。この裁判は初の「わいせつコミック」裁判であるだけでなく、問題のコミックの著者まで逮捕されたとあって当初から注目を集めていた。

 結果として被告はスケープゴートとなったが、作品はもともと挑発的、確信犯的に出版していたのではないし、記録的に売上を出しているわけでもないごく一般的な成年コミックだったので、本来なら警察に目を付けられることもなかったであろう。

 作家と出版社の不幸は、一通の投書が、たまたま元警察官僚の国会議員が目を通してしまったところにある。一言でいうと「ついてなかった」だけなのである。

 裁判で争われたのは性器の露骨な描写についてだが、もし仮にもう少しぼかした描写であっても、摘発までの経緯を考慮すると、結局三人は逮捕されただろう。問題は、今回の逮捕は、作品の質に関わらず、投書された時点で、ほぼ決まってしまったことである。

 裁判は表現の自由の限界に挑むクリエイターと司法との戦い、でもなんでもなく、単に見せしめと忖度から下された判決だった。

 

 わいせつか否かのボーダーは実にあいまいでグレーだ。今でもこの時のように警察がその気になれば簡単に挙げられてしまう。

表現の自由」は憲法で保障されているなら、誰かのさじ加減ひとつでその自由の基準が変わるべきではないはずである。「最も表現の自由」を錦の御旗にして質の低い取るに足らない「表現」が多いのも事実だが。